筆算についての疑問

かなりのご無沙汰です。

うちの娘は、早いもので高校2年になりました。

どんぐり

中退生ですので、高校は偏差値ど真中程度の高校でほぼ真ん中(より少し下)を闊歩しております。

部活もやって、高校生活満喫中です。

生きていく手段の自己資本としては、かなり少な目な方です。

まだ近い未来も見通せてはおりません。

まだまだ心配な事は多いですが、最近は声をかけるのも少なめ、目をかけているだけです。

 

さて、前置きが長くなりました。

職場の同僚の子どもが小学生であったりしますが、学校の先生のこだわりの強さは、なぜこんなにも廃れないのかと疑問を感じます。

もう5年以上前の保護者である私が興奮するほど「そうそう、そうそうそうそう!」と話をしています。

今回のこだわりは、

掛け算の筆算の時の「界線」を定規で引く

です。

 

筆算が日本に入ってきた時にその方法を定着させるために当時は事細かく決め事をしたようです。

線の長さや意味など伝えながら計算方法を学んだのですね。

賢いです。

 

研究熱心だと、歴史を遡るというのは一つの方法です。

 

しかし、

現代の小学校の先生は、

丁寧に書くために定規を使わせる

のです。

 

筆算とはなんぞや?と疑問だらけになっている時に、

定規で引かなきゃダメ

 

ゆっくりやればわかる段階の時に、授業の終りまで何分です急いでと言いながら

定規で引かなきゃダメ

 

思考を混乱させるだけです。

 

丁寧に

を使うところを間違えてます。

 

文科省の学習指導要領に

速く沢山解けるようになること

って、書いてあるんでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

心が鈍感になること

新型コロナの影響で宿題がわんさと出ている娘。

 

今回ばかりはタダならぬ休みと感じているのか、少しはやる気になったのか、少しずつこなしているようです。

 

小学校の頃は、学校であった事をあまり話さない子どもでした。

宿題をやらないと決めたのに、最後は担任の先生の空気を読むかのように、少しやっていたのです。私が、担任の先生の考えがおかしい、やらなくて良いなどと言っても、その雰囲気に乗って悪口を言うわけでもなく…。

親と先生の板挟みになっちゃってるんだろうなと不憫に思っていました。

 

実は、元担任の先生がある事で注意を受けたと聞きました。

私は、先生は承認欲求が強く、自分の満足の為に働いていて、生徒の本質を見ようとしていなかった事、どんぐりを最後まで出来なかった娘と私は、本当に自分のために学ぶということはどういう事か、私はどのように働くことが本当に自分のためだと思うのか、を何度か話しました。

 

少しずつ、元担任の先生の事を話すようになりましたが、小学校の頃のことは記憶に無い事も多く、娘の小学校の思い出はどうなっているのかと感じました。

 

今でこそ、自分で考えて、自ら行動している様に見えますが、中1くらいまでは、細々とした手先を使う努力がイヤで、中2になってからやっと、少しずつ宿題も「こなす」ようになりました。決して力を入れているわけではありませんので、普通の範囲に入ったところで出来るようになったと言えます。

 

自分で考え、決定し、行動するという状態はこういう事なのかと、今、思います。

そのように出来る状態として、自分はこれで良いという自己肯定感が存在しなければならず、私は娘に伝えたつもりであっても、小学校教育という強い力には、勝ることができなかったのだろうと感じます。

 

小学校教育で成績が良いから、シールをたくさんもらえたから、先生の言う通りに出来たからと褒められているようでは、恐らく三分の一程度の子ども達は、娘の様に心を鈍感にすることで対応しているでしょう。

一割程度の子供達は、先生の手を煩わせるという方法で自己表現が出来ているでしょう。しかし、自己肯定感はなく、自分は出来ない人間であると思い込んでしまっているでしょう。

うちの娘も、自ら思う「キャラ」があるようで、バスケ部の主将という役割をあたえられなければ、「キャラ」に自分が作られてしまっていたかもしれません。

 

小学校時代が全てではないし、ギャップは飛躍的な成長を感じるもとでもありますから、これはこれで経験にはなります。

偏差値に価値観を影響されなければ良いのだろうと思います。

 

しかしやはり、無から作り出す能力、俯瞰と仰望を繰り返す力など、まだあまり余計な知識のない頃に鳥の目、虫の目、魚の目、コウモリの目のような体験をさせてあげられなかった事は、本当に残念です。

中学2年を終えて

小学校から2年しか経っていないのに、もう、中学3年生になります。

 

少し落ち着いて娘の学力について考えてみました。

 

①学習全般において、普通の域にある。

努力をしていないことが大きいが、努力したとしても東大に入る事は難しいと予想できる。

 

②文章を書く能力は向上したようだが、読み返してないようだ。

なので、推敲されておらず、拙劣な文章に感じることがある。

 

③数学の解答時間は足りないと言うことがあったが、職場体験でお弁当代金の計算が早いと褒められたらしい。

ドリルはやらせていないはずなのに、何故かよくわからない。

 

理解力や記憶力はまずまず一般的と思われるが、それを繋ぎ合わせる力がやや弱い。

弱いというのは、成長が遅いと思っていて、1年くらい経過するとやっとここまできたかと思えることがよくある。

 

バスケは頑張ってはいるが、四六時中バスケという訳ではない。

 

友達とは深く仲良くという子は、いないかもしれない。まずまず、クラスでも、部活でも大きな問題なく過ごしている。

 

学力に関して、皆様に期待して頂けることはありません。残念です。

来年は受験ですが、本人はあまり力んでおりません。また報告させて頂きます。

PTA活動と進路

中学校のPTA活動って、どうなのでしょう?

 

私は、自分の娘がお世話になっていて、仕事の都合をつけて出来るなら、「やろうかなあ」と思っていました。

しかし、今になって聴こえてきたのが

「PTA活動を一所懸命しているから、子どもの内申を上げてもらえる」

というウワサです。

昔の金八先生のドラマで、そんな話がありましたっけ?

あれから半世紀近いのに、まだ、そんな噂が残っているなんて。

もちろん、本当に地域のために努力されてるな、と感じる方もいらっしゃいます。

 

私の住んでいるところでは、内申で受験できる高校が決まってしまうので、内申を上げるために必死なのですね。

 

もし、本当だとしたら、中学校の先生も信用できない先生がいるな。

専門職でありながら、そんなブレブレの評価。

本当なら教育が腐ってる。

 

いかに「教えようか」と悩む先生は少なく、

「出来るか、出来ないか」「従順か、そうでないか」

で決まる成績。

 

どんぐり落第生の娘には、

自分が好きなこと、一所懸命できること、を続けてごらん。

そこで出会った人がそれからの人生のヒントをくれるから。

と話してあります。

高校は行くそうです。

定時制でも、通信でもいいんじゃない?

と言ってますけど。

どうするんでしょう。

 

中学2年になって

娘は中学2年になりました。

成績は相変わらず3、3、3。

ただ、少し興味を持って学ぶようになってきました。

現代中学の教育の影響で、毎日デイリーノートと呼ばれる自己学習。

部活のノートも書いてます。

 

この度、部活の主将になりました。

候補は他にもいて、勉強も良く出来るし、生活態度も素晴らしい子で、主将についての考えも娘よりはるかに素晴らしく表現出来る子です。

私もその子が適任と思っていました。

 

しかし、同級生や先輩が、拙い表現でも、娘を選んでくれたのです。

娘は、部活に対する情熱はかなりあります。

そして、自分の周りにいる友人や先輩を大切にしますが、無理に人に合わせることをしません。

うーん、違うな。それが選んでもらった要因とは言えないな。先程の子もそうですもんね。

 

ただ、娘は、保育園や山森先生の教室で年齢の違う子と関わる事を経験しています。

どんぐりでは、様々な思考過程を持っている人、年齢を横目で見ていました。そして、それを否定しないし、むしろ発想を楽しむ所があります。

何かそういう所が、娘の対人関係によい影響を与えてくれたのかなぁと思っています。

 

上手くまとまりませんでしたが、

親として嬉しかったので、久々にブログを更新しました。

 

記憶力

こんな事がありました。

 

娘「今日は国語で竹取物語の暗記テストなんだー。何にもやってない!」

 

私「えー、大丈夫なの?」

 

娘「私、記憶力良いんだよ。友達に質問して答えた内容覚えてられるもん。」

 

私「短期記憶だけだから、テストの時には忘れてるね」

 

娘「本当に良いんだって。」

 

良くわかりませんが、

記憶力が良いと言い張ります。

それならまだまだ暗記ばかりのテストなら、あんな酷い点数にならないだろうに…。

ハッ‼️

 

そうでした。

小学校の時は、暗記モノ厳禁にしてたから、暗記するって、あまりなかったかぁー。

それで勘違いしてるみたいです。

 

年齢を重ねればなんとなく自然に出来る事なんでしょう。

こんなに自己肯定感があるなら、躍起になって小学校の時にさせなくて良かったと感じました。

 

成績だけではないところは、どうか⁉️

オール3の娘ですが、

生活面は⁉️というと。

 

夏休みも文科省の指導があったので、昨年よりは少ないらしいですが、

まあ、部活、部活、遊び、部活、部活です。

 

顧問の先生は、バリバリの昭和‼️

厳しいけれど、愛情がある感じ。

省察的実践家」との事で、私も共感できるところも多いです。

 

娘の実力以上に期待されているところもあり、娘なりに悩みながら過ごしています。

相変わらず、私はガミガミになりつつの教育になってしまっていますが、

少しずつ私から自律しています。

 

どんぐり問題で感じていた

思考の忍耐力の無さは、チョイチョイ頭をもたげるようです。

 

また、自分はやっている、出来ているという意識が強く、私からみると内省が足りないのですが、まだ娘には時期が早いのかもしれないと、出した口を引っ込めることも多くあります。

 

先輩が夏休みにイングリッシュキャンプだ、オーストラリアだと聞いて、来年行ってみたら⁉️とすすめても、

「バスケの試合とかぶるから(行かない)」

と、

言い切っております。

 

部活のお友達と少しの間もめていたみたいで大丈夫なのか心配していましたが、また、仲直りしてました。

 

親バカだなぁ。